通勤に自転車を使うのは、トレーニングの意味合いと自転車が好きという理由が大半を占めます。とはいえ、朝一のスタート前は「向かい風だと嫌だなぁ」、「今日は負荷をかけるストレート、サボろうかなぁ」、「あの地味な上り、スピード落とそうかなぁ」などとネガティブな思いも抱きつつ、漕ぎ始めます。
漕ぎ始めるとスイッチが入るのか、徐々にペダルの回転が速くなり「よっしゃ!今日も行くぜぃ!」とシャカシャカペダルを回します。
通勤用はギヤの無いシングルスピートなので、スピードを出すにはペダルを回すしかありません。
ペダルの一番上から90度位まで負荷をかけ、惰性で一番下まで行くと逆足が一番上に来るのでまた負荷をかける、この繰り返しが無駄な力を使わないペダリングだと誰かが言っていたような(異論反論多々あると思いますが、今はこれを採用中)。
以前は、あの信号まで頑張ろう、あの登坂のてっぺんまでは負荷をかけよう、と位置を目安にしていました。
今は負荷を目安にしています。速すぎない回転では角度と負荷がイメージ通りで「回せている」気になっています。しかし、速すぎると角度と負荷が目茶苦茶になり、もったいない力を使ってしまいます。
回転が速くなっても90度まで!90度まで!と自分に言い聞かせ、力の入れ具合と抜き具合を意識しています。
目安を負荷に変えてから、一つの変化があらわれました。以前は「まだここ?あと30分くらいかな」と先のことを考えてしまうのですが、今は「もうここ?ふーん、そんなことより90度!」と先のことを気にしなくなりました。
言うならば「今は、今を意識しよう」をしているのかもしれません。
皆様こんにちは、紺堂つぼ治療院です。
例によって長い前振りでした。
今回は、「マインドフルネス」と「幸福感」。
精神的な面が入るので敬遠される方もいらっしゃるかもしれませんが、一つの考えとしてご報告いたします。
そもそも「マインドフルネス」とは何ぞや?
wikiにもありますが、マインドフルネス学会なるものがありましたのでそちらから引用いたします。「“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” と定義する。」
ただ観るとあったので、観音菩薩を思い浮かべました。中らずと雖も遠からず(あたらずともとうからず)で、マインドフルネスは仏教の瞑想の流れを汲んでいるようです。
禅を面白いと思い、書籍を読み漁った時期がありました。実践できているかはわかりませんが、一言で表すならば、過去も未来も妄想で「今」を大切にすることが根っこにあるんだと勝手に解釈しています。
「今」という意味ではマインドフルネスと禅はどこか通じているのでしょう。
で、この「マインドフルネス:今」を大切にできると他のことに捉われず「幸福感」を得やすいということが報告されていました。⇒原文はこちら
ペダルを回すのは、トレーニングでもあり、通勤でもあり、マインドフルネスでもあったのですね。
曲解すると、ペダルを回す(ペダリング)と幸福感を得る下地ができる、とも言えましょう。
私の自転車仲間(19歳)が福岡から宗谷岬まで自転車で向かっております。
達成した暁には、幸福の下地どころか幸福に酔いしれるかもしれません(東海道経由で現在は東北に入ったようです)。
もちろん、筋トレ、ランニング、ピラティスなどの趣味に限らず仕事も含め「何かしている今」に集中することも広くとらえればマインドフルネスの一部かもしれません。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今回の報告にはマインドフルネスと年収との比較にも言及されていました。金銭面が関わるとどうしても妄想にとらわれてしまう凡人の私がいます。
皆様も素敵なペダリングでハッピーライフを!
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