献血や検査といった話ではなく、先祖は私をどう思ってるのかしら?という話。
私のY染色体のルーツは宮崎県都城(みやこんじょ)市の西部、霧島山のふもと。
齢80を超えた父親が地元に戻るとのことで侍者としてご一緒させていただきました。
皆様こんにちは、はり灸こんどうです。
これを読んでいる貴殿の年齢がどのくらいかわかりませんが、幼き頃の記憶なんて自由奔放。
というわけで、今回は酒を汲みつつ心もとない父親の記憶から聞いた話を綴ります。
先祖はもともと山仕事を生業にしており、畑を耕したり田を耕したり木を切りだしたり製材したり鉄砲撃ったりしていたそうな。
鉄砲!?
昭和25年までは鳥獣保護区ではなく、禁猟区という扱いなので、あたり一面山ばっかりの都城の山村は猟についての自由度は高かったと思われます。
パシュンパシュンと散弾銃の狙いを定めていたそうな。
猟のお供は猟犬。
猟犬を連れて山に入ります。
獲物と言えば猪と鹿。
手負いの動物を猟犬たちが追い込んで仕留めることも必要な業務。
ビビって追い込めない犬は教育的指導を受けたそうです。
教育的指導についてはココでは書けませんが、飼っていた犬が父親には絶対服従だったことを思い出すと独特の服従させる方法があるのでしょう。
昔話をしながら繰り返されたのが、「鹿は美味しかった」、「鹿はおいしかった」、「シカはおいシカった」。
ダジャレのパワープレーかと思いきや遠い目をして話していたので本当に美味しかったっぽいです。
父親がシメた獲物は猪と鳥。
鹿は大仕事で大人たちがしていたそうです。
これを書いていて思い出したのが、鶏肉。
私が10歳の時、父の実家から鳥の丸焼きが贈られてきたことがありました。
漫画的な鳥の丸焼きに私は大興奮しました。
しかし、どこから手を付けてよいのかわからず躊躇していると、ヒョイヒョイヒョイと骨をばらす父親。
大人になるとこんなことができるんだと尊敬しましたが、大人になった私は同じようにはできません。
山育ちの父親、改めて感服いたします。
話しは戻り田畑の話。
耕すために馬が2頭ほどいたそうな。
鞍なんてものはなく、胴をぐるっと藁で廻してそれを足の親指と人差し指でひっかけて、手は鬣(タテガミ)を引っ掴んで乗っていたそうな。
蹄(ヒヅメ)の蹄鉄交換は幼き父の仕事で、山を二つ乗り越えて連れて行ったようです。
しかしながら、乗馬のリズムの気持ち良さに眠たくなり馬上で居眠りするそうな。
馬は馬で勝手知ってる道を覚えており、ちゃんと家に帰ってくるという見事な帰巣本能を発揮して迷子にならないと力説。
なんだかすごいなぁと思っていたら、話はどんどんエスカレート。
父親の中で鳥肉とはキジのことだと判明しました。
キジ鍋も美味しかったらしく、味を占めた若き父親は勝手に猟犬を連れて昼間っから山に馳せ参じキジを追っかけてたそうな。
勝手にやるのは一応ルール違反なんだよ!やたら嬉しそうに語る父親。
親にも兄弟にも内緒で山に入ったそうな。
捕まえられなかったので何事もありませんでしたが、バレてしまうとキツイお仕置きがあったようです。
運よく捕まえたらどうなっていたの?と聞くと、、、そりゃ「よそ様に内緒で雉鍋になったさ!」と父爆笑!
ルール無視がルールです。
現在、我が父翁は「雉も美味しかったなぁ」と茶をすすっております。
キジを捕まえるために山に押し入るとヘビに遭遇する、頭が三角なのは毒蛇(マムシ)だから思いっきりぶっ叩いて持ち帰って一升瓶に入れるんだと茶をすすりながら突然の再力説。
首を引っ捕まえつつヘビを洗い一升瓶にねじ込んだとニヤニヤしながら話してくれました。
何が面白かったのかわかりませんが、毒蛇を一升瓶に入れ込むのは面白かったようです。
出来上がった酒が未成年の父親にとって美味しかったのかもしれませんが飲酒したかどうか確かめるすべがありません。
ホントのところどうでもよくなってます、ヘビ酒(毒入り)ってファンキーだな。
そんなこんなの「みやこんじょ」。
霧島神宮にお参りしたり卒業生を突撃訪問したり遊びっぽいですが、それはそれ。
父の保有の杉林の今後について役場などを駆けずり回ってます。
都城盆地から見る山々を映す夕日、宿泊しているのが神社の裏手で鳥居を裏から見る神々しさにうっとりしております。
皆様も年長の親類との会話の機会があれば是非面白エピソードを引き出し令和の子供たちに口伝してあげてください。
人類は時代が変わってもそんなに変わりゃせんのです。
突然押しかけても笑顔で対応してくれた卒業生!ありがとう😊ご活躍を期待しております。
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